僧侶が試される時

昨日お参りした、ご高齢の女性は、とても心配りのある優しい方で、私も学生時代からの長いお付き合いです。子どもさんはおられないので、ご主人を亡くされた後は、サービス付きの高齢者住宅に入られていました。コロナでの立ち入り制限が解かれ、3か月ぶりにお参りしましたが、驚くほど痩せておられ、体調もかなりすぐれないご様子でした。20年前に完治したはずのガンが再発したと私に告げられました。

死を覚悟しての言葉に、私の僧侶としての「言葉、経験、人生観、死生観」すべてが試される瞬間でした。その方の「若き日、お仕事、結婚、家庭・・・長い人生を歩んでこられた様々な喜怒哀楽」に思いを馳せると、帰りの車の中で涙が出てきました。どんな人生にも必ず終わりがきます。

「人は今生のお別れの後、霊山浄土で、お世話になった人と再会し、そこで自分の人生の意味を知る」そのことを信念と実感とを持って語れることが僧侶にとって大切なことだと思います。(写真は投稿のイメージです)